知る者は云わず、云う者は知らず・・( 2 )

得て親しむべからず。得て疎んずべからず。得て利すべからず。得て害すべからず。得て貴くすべからず。得て賤しくすべからず。故に天下の貴と為る。

このような玄同の境地にある人というものは、親しもうとして、その人の心の奥に入ってゆこうとしても、普通の人のように、その人の心の在り方がわからなくて、なれ親しむことができない。といって、何んだ、というように疎んじようとしても、何か心がひかれていて疎んじることもできない。この人を利用して自分の為にしようとしても、どんな利益の話にも乗ってこないし、やっつけてやろうと思って、種々と手だてをくわだてようとしても、思うようにはゆかない。だからといってこのような人は、あなた様は尊い人で、立派な人で、有難い人で、というように、あがめたてても、別に何という変化を現わすわけでもないし、賤しめようとしても、どうにも賤しめることができない。であるから、こういう人は天下の貴い人である、ということになるのである。と老子はいうのであります。凡人とみれば凡人と見え、貴人とみれば貴人と見える。貴人とみて、尊んで話してみると平々凡々とした話をする。凡人とみて話しかければ、凡人ならざる光明が感じられてくる。何んともつかみどころがないが、いつの間にか相手の人々の心の汚れがとれているし、何か得難いものをその人から受け入れた感じがしてくる。といった人が、玄同の境地になった人なのです。

この世の中には、権力の座にいたり、或る高い地位を与えられていることによって、偉い人なのだな、立派な人なのだなあ、と思われている人々がありますが、いったん、その権力の座や高い地位から降ろされてしまうと、凡人よりももっと始末に悪い低人格を現す人がおります。そういう人は権力の座にいた時や高い地位にいた時には、さぞかしその地位を利して、自欲をほしいままにしていたのであろうと思われます。宗教者の中などにも、神の名を借りて、信徒の弱点につけ入り、金品をまきあえている似非宗教者のあるのをよく耳にしますが、どうにもやりきれない嫌な思いがします。凡夫である、と自分でも思い、人々もそう秀でた人とは思っていないような人の中に、意外と魂の高い立派な人がおりますし、自分で、自分の魂の位が高いのだと思いこんでいる人で、この世の生活態度の全然駄目な、他人に迷惑ばかりかけているような人もいます。そうかと思うと、魂の位は高いのだが、神霊界のことばかりに興味をむけていて、折角天命をもって生まれ出てきた、この肉体世界の生活を、まるでおろそかにしている人もおります。肉体世界に生を受けてきたことは、どのような人でも、肉体世界の為に何等かの貢献をするためにきているのであって、肉体世界の生活に怠惰であってよいわけがありません。

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