肥田式強健術 (3)

▽動作の敏活

これも読んで字のごとく”すばやく動く”ということである。この要件を考えたきっかけを、春充は次のごとく述べている。

「この人生の戦場において、勇敢に奮闘せんことを望んだ私は、鍛えに鍛えた結果、こうゆう体躯を得ようとは毫も思わなかった。私は更に、我が鍛え上げた体を、最も敏捷に働かさねばならぬと痛切に感じたのである。私が『動作の敏活』を、主要条件の一つに入れたのは、こうゆう理由に基づくのである。」

こうして、春充は、西洋のレスラーやボクサーのトレーニング法を参考に、独自の練修方法を考案した。

特に、1892年にアメリカ、ニューオリンズで行われた、ジョン・L・サリヴァンとジェイムズ・J・コーベットのボクシングヘビー級タイトル戦において、チャンピオン、サリヴァンに対し無名のボクサー、コーベットがその脚を使った巧みなフットワークで相手を翻弄し、見事マットに沈めた記事は春充に大きなインスピレーションを与えた。

このコーベットがトレーニングにおいて、羽毛で作った玉をつるし、それを叩いたり、蹴上げたりしてフットワークを磨いたことにヒントを得て、「気合応用強健術 上脚ニ頭筋練修法」が生まれたのである。ボクシングの歴史の中で、初めてフットワークの概念を導入したコーベットの練習方法に、強健術が大きな影響を受けたという事実は非常に興味深い。

さらに、この「動作の敏活」につらなる「脚」の問題に関して、春充は考察を深め腹力、中心力との関係をこの「脚」との関係に見出すのであるが、これは肥田式の要でもあり、他の要諦とも係わってくるので、後に詳述することとする。

▽気力の充実

以上のように、処女作「実験 簡易強健術」を発行した当時の強健術は、「筋肉の発達」「内臓の壮健」「体格の均整」「動作の敏活」の「四大要件」のみであった。これらの要件を眺めてみると、どれも虚弱であった春充が痛切に望んでいたものばかりであることに気付く。また、それらを解決するために参考にしていたものがほとんど当時流行していた西洋のスポーツ、運動法、養生法であったことも興味深いものがある。

次に、春充は四大要件のみだけでは充分ではなく、これら四大要件を通じて最も重要な問題があるという。

それを春充はかくの如く指摘する。

「さて、最重要の問題とは何か、それは他でもない、『下腹部の緊張』である。下腹部の緊張と云っては、なお生理的に堕たるの感がある。いわゆる氣海丹田に氣膽を練るもの、柔道剣術でいう『氣合』を込むるのである。」

こうして、肥田式強健術の一大特徴「中心力」に発展する概念、「下腹部の緊張」、「氣合」が登場する。

初期の頃は四大要件を貫く重要な要素として、それらとは別格に扱われた要件であったが、後に「強い身体を造る法」(大正5年 武侠世界社刊)以降では「気力の充実」として執り入れられる。

この概念を導入したきっかけについて、春充は次のように記している。

「私は考えた。科学的西洋式に組織された型を実行するのに、日本武道の精髄たる氣合をもってし、精神生命をぶち込んでやったならば、こい願わくばその効果を完全にすることができるであろう。そうだ。西洋式運動に、日本武道の精華を織り込んで、世界優秀の方式を編み出してやろう!これぞ、熱狂的興奮に燃えた当時の私が、小なるアンビーションであったのだ。そして又実に将来、光明歓喜の法悦境―正中心に悟入する第一歩になったのである。」

これを読んでも分かる通り、春充は、西洋のスポーツ等を参考に考案された強健術の型を、「科学的西洋的に組織された型」と捉えており、そこに東洋の丹田、氣合を組み込んで完全無欠の運動法としようとしたのである。

では、具体的に「下腹部の緊張」、「氣合」とはどのようなことであろうか?

春充の言葉を見てみよう。

「(氣合とは)もっと分かり易く具体的に云うと、氣海丹田に力を込めることである。更に生理上から極めて平易にいうと、私が時々繰り返した所の『下腹部の緊張』ということになる。解剖学的に云えは『腹直筋の緊張』である。即ち横隔膜の操練によって、腹部諸機関を圧下すると共に、下腹筋肉を緊張させて、臍下一寸五部の所に力を込めるのである。下腹部の緊張は氣合の全体ではない。けれどもその最大要件である。その根底である。しかもこれを体育に応用し来たった場合、私は飽くまでも科学的に『腹直筋の緊張』を以って足れりとするのである。これだけ呑み込んで置いて呼吸を計り、精神を定め、注意力を集中し、しかも恬淡虚無、以ってこの腹筋の鍛錬を続けて行くならば、その矛盾の妙境から自然と『氣合』は会得せられてくるのであろう。」

これは、第3冊目の著作となる「心身強健術」(大正3年 武侠世界社刊)からの引用であるが、ここに簡潔に氣合と、下腹部の緊張についての解説を見ることができる。

このように、初期の強健術では下腹部に力を入れて緊張させることが最も大切な要件であった。これは「腹力」と呼ばれ、これにちなみ2冊目の著作は「腹力体育法」(大正元年 文栄閣刊)であった。この「腹力」が発展して後の「中心力」になるのである。しかし、このことについては後に詳述したい。ここでは、強健術の根本的原則が、「下腹部の緊張=腹力」「氣合」であることに注意をとどめておきたい。

先述したように春充は、この氣合によって練習回数と時間の短縮を図ることに成功している。春充は言う、

「運動法で、運動回数が少なく、時間を要せぬのも、これ(氣合)がためである。『氣合』を込めて運動をやれば、時間を長くやる必要は―断じてない。」

春充は最初この氣合いを、書物をもって会得しようとした。しかし、生まれ故郷で求めた柔道の本には、この氣合について残念ながら一言も触れていなかったと言う。その後、撃剣その他の武芸に関する書物を調べたり、角力や剣舞や礼式の本などを読んでこれを修得しようと努めた。さらに上京してからは、舞や踊り、旧派演劇や軽業等を観察して、氣合の秘密を解こうとした。

このような努力の結果、体勢の変化は腰が基礎で、その働きを外に表すのは脚であることに気付いたという。そして、腰の大切な所以はどこにあるのかというと、それは腰を据えるということであり、腰を据えるということは、下腹に力を入れることであると結論づけている。そして、この下腹を緊張させて活気を与え、これに生命を点ずるものが氣合であるとしている。また、端的に「氣合即ち下腹の緊張の修練」とも表現している。こうしてみると、氣合、下腹部の緊張、腹力の三語は、ほぼ同義語として用いられていることがわかる。

また、春充は氣合について次のようにも語っている。

「鍛冶屋の槌の一上一下にも、理髪師の鋏の虚実の中にも『氣合』はある。機先を制して人を服せしむるのも、端的に発して以外の功を収めるのも、皆『氣合』の力である。暫くこれを自得と云い、修養と云うとは云え。要するに各人が自ら衷に備えている自然の力に他ならぬ。のみならず、虎の躍らんとする、鷹の飛ばんとする、其処に自ずから『氣合』は生ずる。窮鼠却って猫を咬むのは、そこに『氣合』が充ちているからである。寒風が颯々として松の枝を払う。そこにも天来の『気合』はあるのだ。」

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