次元と認識 (6)

ただこの場合、死と異なるところは、眠りの場合は、肉体は植物性神経を通して依然生命現象を継続しており、僅かな刺激によって再び緊張状態に復することである。このような断続作用(もちろん増幅作用もあるように思われる)を行わしめる機能を担うものが、シナプスから分泌されるホルモンであるが、このホルモンは、シナプスに貯蔵される量が、ある適当量を超えても不足しても、その作用を正常に行うことができないから、一定時間以上の緊張が続けば、分泌は弱まり、弛緩状態に入ることとなり、そこに睡眠を要求する生理作用が生ずる。そして睡眠中にホルモンの補給が行われて、一定時間後には、僅かな刺激によって、再び眠気から解放されることとなる。しかし異常な精神緊張状態が長時間続けば、ホルモンの分泌は変調を来たし、あたかも蓄電池における過放電の場合のように、その機能が破壊され、正常な作用に復帰することが困難となる場合も生ずる。

さて以上述べた予備知識を基として、正常なる覚醒時と睡眠時のこころの在り方を較べてみよう。
第十六図の(A)は覚醒時(C)は睡眠時で(A)の場合は「我」は第四次元の立場にあって三次元を物の世界として眺め、第四次元を含めてそれより高い世界よりのはたらきかけを心として受け取っているのであるが、この場合「我」は固定した存在ではなく、ただ物(世界)と心の存在において、物に対する執着が、三次元の世界に示された肉体をわがものと錯覚することによって、自ら作り上げた感情で、もとより存在せざるものを存在すると思わせる「こころ」のはたらきによるものである。このようなはたらきは前にも述べたように、マーヤなる名で呼ばれているもので、もともと無いものを有るとみせかける「いのち」の特有なはたらきかけである。だからわれわれが何等かの理由により、三次元より高い次元の世界に執着を移せば、「我」の住む次元は第四次元より一次元高い第五次元に移り、そこに新しい対を創ることとなる。このことは前に夕空に輝く星の例で説明したところである。ではなぜかかる「我」の住みかの遷移が行われるのであろうか。

前述のように、ニューロンを通してなされる感官よりの刺激の伝達は、シナプスホルモンの分泌状態によって制御されることは、あたかもラジオにおけるトランジスタを思わせるものがある。すなわち、もしこの部分のホルモンの分泌が不足した場合・・・たとえば睡眠の場合には、感官を通して受け取った外界(この場合は三次元の世界)の刺激は大脳皮質へは伝達されないこととなるから、感覚的には世界は存在から消え失せることとなり、従って、第四次元に住む「我」も消滅することとなる(心ーーー「我」---物の三者は常に対をなすことを思い出されたい)。そのことは同時に、第五次元的「我」の目醒めとなり、そこにまた新しいそれぞれ一次元高いこころともの(からだを含む)の対が生ずる。

そのような世界における外界ーーー対象の姿は、時空を超越した世界であり、従ってわれわれが覚醒時に経験している三次元の世界とは異なった性質のものである。

そこでは場所(空間)や時間による障害はなく、どこへでも、いつでも、意志しただけでそこに在ることができ、また会いたいと思っただけで誰にでも会え、言葉に係りなく、自由に意志を伝えることができ、裏とか影といったものの存在しない見抜き見透しの世界である。このような世界は、われわれが夢の中でしばしば経験する世界であり、それは四次元の世界を論理的に考察すれば、当然であり得るべきものと考えられる。そしてそのような世界を見る者は、当然それより一次元高い立場にある第五次元の「我」でなければならない。従って夢とは第五次元の「我」の創る世界であると推定することができる。
ただし、睡眠時における「我」の遷移は、そう簡単ではなく、睡眠そのものが、たえずうつつの状態、浅い眠り・深い眠りと変化を繰り返しているから、従って醒めてのち、その内容を思い出してみても、辻褄の合わぬ荒唐無稽の感を抱かせるものとなる。しかしそれを見ている場合には、当人には何の矛盾も不思議さも感じさせないのである。
このようなことを考えると、夢の間においては、「我」は高い次元の世界に醒めているのだと考えるべきではあるまいか。このことは後に述べる狂気・恍惚等の場合においても、ほぼ同様な経験を味わうことからして、類似の条件にあるものと考えられる。