次元と認識 (2)

(二)次元は互いに超越する世界である。

次元は互いに垂直的関係にあるということによって論理的にこのことが考えられる。すなわち垂直とは線または面に対して高さの方向であり、そのことはその中にあって見る者が、それらの線または面に対して超越した立場にあることを意味する。超越は同じ世界(次元)内ではあり得ず、必ず次元的に高いところにある関係である(同じ世界内における高さの相違は超越ではなく、位置ー階層の相違である)。
一般に使用される高さという言葉は階層の高さを意味し、それは一つの世界の中での連続した位置の変化であるが、次元的高さまたは超越の関係は、垂直的関係にある別の世界のことであり、お互いに断絶した世界である。
それは、互いに超越した世界の間には、物理的な直接の連続関係がないから、一方の世界の変化は、そのままの形式では他の世界には直接係わり合わないからである。幾何学的にいえば、直交座標において、縦軸上の変化と横軸上の変化とは、それ自身としては独立しており直接関係はないのである(但し第三のものがこれに係わり合うと話は別である)。

(三)次元は感覚が選びとって創り上げた世界である。
現実にわれわれの取り扱う問題としての次元は、われわれの眺める世界であり、われわれの生活する世界である。もともと次元なるものがあって世界があるのではなく、われわれの感覚能力がその世界を次元的に選び出したものなのである。次元はわれわれの感覚する世界を空間的に規定する一つの手段である。従って現実の問題としては、次元と感覚は切り離せない関係にある。

しかし数学的次元は、ただ空間の幾何学的関係を示すものとして取り扱われ、そこには何等感覚的なものは入っていない。それは観察者不在の世界だからである。従って、これをわれわれの感覚の世界の問題として取り扱う場合には、感覚する主体である「私」-「我」を導入しなければならない。そこに抽象的観念としての次元と、生きものとしてのわれわれの受け取る世界との間に大きな相違がある。
次元の概念の初歩的説明として、よく引き合いにだされるSF小説的な不思議・・・・たとえば、いわゆる神隠し的現象や、時間空間を無視した自由自在な行動が、四次元世界から三次元世界へ働きかけることによって可能であるかのごとく説かれる場合があるが、互いの次元は全く隔絶された世界であって、地続きでもなければ梯子もない世界であるから、現実には不可能である。そのような誤解は、抽象的数学的次元概念を直接現実の感覚世界の中へ持ちこむことによって生ずる誤りである。

もちろん数学的な次元概念は、われわれが現実の感覚の世界を、次元的に理解する基礎となるべきものではあるが、そこに感覚する「我」を通しての観察がなされなければならない。
人間の外界認識は、基本的には五つの感覚、すなわち眼・耳・鼻・舌・身による知覚の総合によって創られる。これはその対象に対して、われわれが行動する必要から与えられる映像であって、われわれの行動を指導する幾つかの要素をもっているが、その中で上下・左右・前後の方向と拡がり、すなわち空間の認識を与えるものが三次元的感覚である。しかしそれは積木細工のように、これらの次元的構成要素があって、世界ができ上がったものではなく、実在する汎次元的のものがあって、その中からわれわれの感覚が選び出したものなのである。だから生物の持つ感覚能力に相違があれば、受け取る世界の姿も異なったものとなる。

ある種の原始動物は、光とか熱とか、その他われわれには未知の働きかけに応じて反応する。おそらくそれらの生物は、この世界を拡がりあるものとしては受け取らないであろう。
またやや高級と思われる昆虫類は、複眼・触覚その他の感官の構造からして、世界を奥行きあるものとは考えずただ拡がりだけとして感じ取るであろう。魚類や哺乳類ですらも、その二つの眼は必ずしも距離測定のためにのみでなく、面的視野を広くするための目的を主とするものであることは、その配置や動眼の機構等からも推察される。
従って、それらの生物の見る世界の姿は、当然われわれのそれとは異なるはずであり、われわれの感じとっているような三次元的空間を経験しているとは思われない。

われわれの見る三次元の世界は、主として二つの眼と二つの耳と、肉体の運動とによって脳裡に構成される観念である。しかし時間を含む第四の次元を直接感受する器官は発達していない。ところが他の生物には、それが予知能力として有力に働いていると思われるものもある。
実をいえば、われわれ自身すらも、そのような能力を所有しているはずであり、ただ平素は気付かぬほど微弱だから感じられないが、胸さわぎとか予感とかは、ある場合には感知されるようである。
これらの感覚能力によって創り出される世界の姿は、それらの生物の生きるためにふさわしい対象の姿を、見る者に与えるように配置されているといってよかろう。
このことは、われわれの見ている世界の姿が絶対的のものではなく、生物が異なれば、世界も異なるはずであり、人間同士の間ですらも、等しくはならないはずである。

(四)高い次元の世界は、低い次元の世界のあらゆる変化の可能性を含んでいる。

幾何学的には、点は大きさを持たず、ただ位置のみを示すものとしたが、その点の位置の変化の軌跡は線で示される。従って線は太さを持たず、ただ長さだけの世界であり、線は点のあらゆる変化を含んでいると考えられる。次に二次元である面は、線のあらゆる変化を含むと考えることができる。それは面は線が垂直方向に移動した軌跡だからである。
次に空間すなわち三次元の世界においては、面が垂直方向に移動した軌跡と考えることができ、これは数学的には面×高さ、すなわち容積を示す。このことは結局空間の中には、面のあらゆる変化を含むとことであり、その関係は、線や面の場合と同じである。三次元を超える世界については、それがどのような世界であるかは覗い得ないが、然し今まで述べ来った次元の特質は、たとえいかなる次元についても、等しく適用できる条件であるから、これを足掛りとして、さらに高い次元の世界に入り込む手段として役立つであろう。